2007年12月21日金曜日

not『振付』,but『コレオデザイン』(1)

前回、『振付の理論』という言葉を使ったが、実のところ、今は
その言葉を使ってない。
まず『振付(choreograph)』という言葉だが、原義は『動きを記述する』ということ。
だが、動きの記述法が普及せず、「ビデオでいーじゃん」の現代では、
もはや原義を離れて使われている。
自称『振付・演出』 も! する踊り手で、即興にちょっと観念的な方向性をつけることまでも、
『振付』という人は多い。
そういう人に、「振付の理論」と言っても、「ああ、フォーサイスね」としか言われない。
「フォーサイスのは単なる自己陶酔の美学だ。僕の言ってるのは、音楽で言えばコードの理論、絵画で言えば遠近法や色彩の理論にあたる、普遍的な法則性だ。そういう理論が普及してこそ、本当に面白い作品が量産されるようになり、音楽やイラストレーションと同じくらい、ダンスも社会的認知と経済循環を生むようになるのだ!」などと激昂しても、理解不能なまま引かれるだけだ。

さらに、『理論』という言葉。ダンスを「研究」している人も、決して少なくはないのだが、皆さん、主観に権威付けするために、いかに簡単に自論に『理論』という単語を当てはめていることか・・・。
そういう人たちに、「限界まで客観的になってこそ、ぶつかり合う議論で発展していけてこその、研究だろ、理論だろ!」・・・などと激昂しても(略)

そして、それが決して日本だけのことではないことも、わかってきてしまった。

結局は、別に、自称『振付・演出』家兼ダンサーたちや、自称研究者たちの人格の問題ではないのだ。
動きが空間と時間合わせて四次元な上に、関節の数もいっぱい、それに照明、音響、衣装、そして「ライブ性」の問題・・・基本的なものだけでも、考慮すべき要素が多すぎる中で、みんなの共通認識を得られる切り口を見つけること自体が、至難の業であるということだけだ。
(ラバノーテーションこそが、その切り口足りうる、という自論はまた今度)

そんな現状で、もはや、自分の考えに、『振付』という言葉を使うのは適切でなく、客観的な『理論』として打ち出すことも虚しい。
『振付(choreograph)』よりも、『コレオデザイン(choreo-design)』というべきだろう、と思うに至った。
厳密な『理論』でなくていい。ただ、『配色辞典』とか、『コード進行スタイル・ブック』とか出版されているように、せめて、動きのパターンだけでも抽出し、共有できるようになるべきだろう、と考えるに至った。

僕としては、厳密に正しいかどうかではなく、ただ、今までよりも、「見せる」身体運動を考える上での、便利で共有=意見交換しやすいツールを創りたいだけなのだ。

だから今はもう、『振付の理論』ではなく、『MPL(Movement Pattern Language/運動パターンを表す言語)』と言いたい。

これからは、自分の作品発表と同時に、その動きをMPLではいかに表せるか、いかにパターン抽出し、説明できるかを、示していきたい。

NetDanceJapan基盤班とは、これとは別に、ネット上でやりとりできる、動きの言語の構築を目指してもいるが、MPLに関しては、まだ僕だけ。
いずれ基盤班にアピールするためにも、実行班として、説得力ある実例を提示できるよう、がんばって作り出し、準備しなくてはいけない。

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