2007年12月22日土曜日

not 『振付』,but 『コレオデザイン』(2)

前回、「コレオデザイン」という言葉を使ったが、その補足。
僕がそれを考えたのは、まったく独自だったけど、
googleなんかで検索すると、「choreodesign」という言葉は、「choreograph」とは別に、アメリカのダンス学校なんかでは、クラスの名前に使われているらしい。
おそらくは、ダンスに限らず、観せる身体運動全般(例えば、ピエロの動きや、クンフー映画のアクションなど)の、planing方法を、教えているのではないだろうかと想像する。
少なくとも、僕は、「コレオデザイン」という言葉を、そう定義している。
(あと、僕らはインターネットでリアルタイムに動画を送りあって、セッションをしたりしているが、その欧米のパートナーたちも、HPではNew ChoreoDesign Project とか、使ってる。この話もまた今度)

「振付・演出」も する、即興性を重んじる、「コンテンポラリーダンサー」は、「planingなんて、ダンスの本質じゃない」とか「可能性を狭める」と言うだろう。
だが、僕は逆だと思う。
むしろ、「コンテンポラリーダンス」などという狭いジャンルの枠を超えて、あらゆる既存の動きの中から、新たなものを再構成していく、その可能性を開くのだ。

ダンスを始めた当初から思っていた。
日本舞踊とジャズダンスを融合した振付があっていいだろうに、なぜないんだろう?
暗黒舞踏のように体をくねらせながら、バレエみたいにくるくる回ったっていいじゃないか。
音楽なら、伝統音楽との融合なんて、いくらでもあるのに・・・。
と。

これから、「コレオデザイン」によって、それが実現されるのだと、確信する。

もう一つある。「デザイン」と「アート」の違いだ。
昔は、その違いなんて、たいしたものに思えなかったし、どちらかというと、「アート」のほうが格が上に思えた。学生の頃、バイト先で知り合った芸術系専攻の奴から、「ソニーに就職が決まった、カセットテープ(当時!)のデザインとかやる」と言うのを聞いたときには、なんてつまらない仕事だろう、と思ったのものだ。
だが、社会を知るにつれ、「現代のアート」がいかに社会と噛み合っていないかを思いしらされ、
そして、工業デザイナー川崎和夫を、たまたまテレビで見たときの、彼の主張、
「デザインとは問題解決のことだ」
また、建築、都市計画を学んだが、失望し、国際的なプロ社会活動家になった伊勢崎賢治さんが、大学の講義では「社会デザイン」という言葉を使う。

「社会そのものをデザインする」!?
衝撃だった。
ダンスが、あまりにもアートの方向でのみ、ものを考えているのは、間違いなのだ。
閉じこもって製作でき、他人に売らせる絵画や彫刻とはわけが違う。
観客の存在がなければ、ダンスを成立できない、その時点で、ダンスは一種の社会活動なのだ。
社会といかに噛み合うか、「デザイン」の考え方が、もっと必要なのだ。
そして、「アート」と、「デザイン」は、両立できる。ファッションや音楽、その他いくらでも例はある。
ダンスだってそうなれる。

今では、「アート」は、社会と噛み合わないからこそ、「武士は食わねど高楊枝」で、格が高いようにみせているだけなのだと、わかる。日本のダンス業界も、まったく同じだ。
しかし、食わないで生きていけるならいいが、絶滅してしまうかもしれない。淘汰されるかもしれない。

必要なことは、発信し、循環を生み出していくこと。そのための基盤造り。それには、やはり、ITしかないのだ。

世界の文化芸術の中心地たろうとするフランスの国策=助成金が出されるからこそ、
『コンテンポラリーダンス』は、発展したし、世界的に影響を与えもした。(経済基盤からして、名前だけとってつけた『「日本の」コンテンポラリーダンス』とは比べものにならないのだ)
だが、その本家本元のフランスでも、助成金は少なくなる一方だという。
おそらくそれは、国が期待したほどの、面白い芸術にはならなかったからだろう。
だからこそ、これからなのだ。
助成金に依存する必要の無い、そして、「コンテンポラリー」「ダンス」などという言葉で無理にジャンル分けせずとも、真に同時代的で、社会に噛み合う身体運動表現が、活発に創造され、流通するようになるのは、これからなのだ。

そのための、「コレオデザイン」。
そのための僕ら、Net Dance Japan だと、僕自身は思っている。

恥ずかしげもなく言うが、礎になりたい。
後ろに道を造るために、前へ進みたい。

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