2008年3月24日月曜日

久々に吼えてみる

3月いっぱいで、超激多忙の現場から、脱ける。

時間がないと、何もできないことを、思い知らされた。
気力自体も、落ちる。

外務班のH氏からも、指摘された。
「メールも減ったし、G氏独特の勢いみたいなのもなくなったよね」
と。
はい、おっしゃるとおり。このブログの更新回数も落ち込んだし。

でも、その間やはり働いてはいたわけで、事を成している充実感はあった。
充実感はあったが、同時に、疲れてくると効率が激しく落ちる現実も感じた。
つまり、その時間、好きなことをやれたとしても、「この程度しかやれないだろうな」
という、見切りもついた。

「気合」が、いくらあってもダメだ。いかに緻密に効率よくスケジューリングし、
それを着実にこなせるよう、バランスをとれるか、だ。

だが、それでもなお、やはり、
怒りを抱くことは、間違いではないのだ。

僕は自分の活動を、芸術活動というよりは、業界に働きかけるための社会活動
だと思っている。

そして、僕の尊敬する、というか、魂の恩人の一人、サウル・アリンスキーの言葉にも、
「社会活動の原動力となるのは、優しい献身の感情よりも、むしろ不正に対する憤りだ」
という旨のことがある。
憤りは、やはり、困難な状況を打開するには欠かせない、エナジーなのだ。

「そんな大それた事を考えず、他人と較べず、目の前のことを一つ一つやっていけば、自然に
世のためにもなるんですよ」
みたいな、いかにもな日本的精神は、僕は間違いだと思う。というか、村社会的な限られた
条件の中でしか成り立たない。

大きなビジョンを持ち、周囲に苛立ちを感じるからこそ、目の前のことを一つ一つやる
気力がわくのだ。

もちろん、実作のペースが遅くて、恥ずかしくもある。
あまり偉そうに言えないと痛感することもある。
思い知らされ、角がとれてくるのも人生だと思う。
その現実も、直視していこう。

それでも、このブログ上では、怒りを隠さない。
変化も隠さない。
実績が、かなりできたその時、
怒りが怒りのままであれば、今のスタッフとも、袂を分かって活動するほかないと思っている。
実績を武器に、敵ができて当然なくらいの激しい主張を、僕は、業界に
ぶつけていくつもりだから。

渾身の一撃に、酔いしれていてはいけない。
手数を出し切ることこそ、重要だ。
ハードパンチャーでなくとも、勝鬨の上げ方次第で、周囲を引き込める。
僕の尊敬する、モハメド・アリは、そうして、ライバルとも、社会とも戦った。

サウル・アリンスキーのもう一つの言葉。
「社会に働きかける最も有効な手段は、それが何であれ、好ましく思える成果を上げることだ」

アリンスキーの著作が、一冊も翻訳されてないこの日本でも、
彼の説いたことは真実でありつづける。

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